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――モニタの片隅からセカイを覗く―― ※バナー作成中 ←←← 前編 ◆またキューバ勢ウオッチング 前回のアブラハムvs.ゲボル戦につづき、アンダーカードのクルーザー級の10回戦を。 以前紹介したソリスたちと同じ亡命キューバ人である、ヨアン・パブロ・エルナンデスのプロ転向12戦目。 個人的な趣味、プロ転向したキューバ勢ウォッチングの一環であります――。 ◆Aug.18 2007@Max Schmeling Halle, Prenzlauer Berg, Berlin, Germany クルーザー級10回戦 ○ ヨアン・パブロ・エルナンデス(90.0キロ)/12-0-0, 7KO ――KO 1R Time: 1:01―― × ダニエル・ビスポ(90.7キロ)/19-8-0, 13KO これを読んでいる方の何人がヨアン・パブロ・エルナンデスをご存じかはわからないので少し紹介すると―― エルナンデスは1984年生まれ、キューバのピニャール・デル・リオというど田舎出身の若手ボクサーで、2001年ジュニア国内王者、02年世界ジュニア王者(いずれもヘビー級)、03年のパンアメリカン大会ライトヘビー級銀メダリスト、05年キューバナショナルヘビー級王者、そしてアテネ五輪ライトヘビー級のキューバ代表でもあった。 荒削りながら若手有望株の一人だったが、05年の4月、ドイツで行われた「Copa Química XXXIII」の2回戦で敗退したあとにチームから逃亡し、そのままドイツへ政治亡命。 すぐにこの日の興行主であるWilfried Sauerland と契約し、これまでにクルーザー級で10戦以上をこなし、無敗をキープ中だ(ちなみに、あのフアン・カルロス・ゴメスも1995年のCopa Química最中に政治亡命をしており、そういう意味で、「伝統ある」大会だ)。 10年前のホエル・カサマヨルや、最近のソリスたちのような集団亡命ではないから話題にはなっていないが、エルナンデスをはじめ、単身で亡命して欧州やメキシコでプロ転向したキューバ人たちはこれまでにも幾人か存在している(ソリスたちの契約しているアリーナ・ボックスにも、先に亡命してきていた世界選手権メダリスト、ペドロ・カリオンがいる)。 ◆まだまだ、これから さて、ではこのエルナンデス、実力の程はどうだろうか? ありていに言ってしまうと、発展途上、のひと言につきる。現状では大先輩であるJ.C.ゴメス、そして亡命者としては自分が先輩になるソリスと比べた場合、いろいろな意味で著しく見劣りしてしまう。 ここ数試合を観ても、お世辞にもテクニックは高いとは言えず、全体的に荒っぽくて未熟。体もまだ出来ていないと思える。 193センチという長身を活かしたパワフルな連打は魅力的で、22歳という年齢、Sauerlandという力のあるプロモーターがついている事などから、将来性を十分に感じさせはするのだけれど……(皆さんもYoutubeのリンクで確認してみてほしい)。 ▲ 【Yoan Pablo Hernandez vs. Thomas Hansvoll】 http://www.youtube.com/watch?v=NgEbEUFzbHc 【Yoan Pablo Hernandez vs. Daniel Bispo】 http://www.youtube.com/watch?v=F84PilYFsTE ▼ 今回の試合はキャリア的にまだ安パイを選んで倒させている段階だから、これはもう実に悠々とKO勝ちをおさめている。当たり前の結果だ。相手のビスポとは力の差がありすぎて、ほとんどどミスマッチですらあった。 右ジャブをちょんちょんと突いておいてからの左ストレートでバランスを崩させ、追加の右ジャブ→打ち下ろしの左ストレートであっさりビスポがダウン。起きあがってきた後にも、強引な左右ボディをブチ込んで一気に試合を決めた。 所要時間わずか1分。 五輪の時からそうだったが、エルナンデスのスタイルは単調な右―左、あるいは左―右の逆ワンツーを中心にした荒っぽいパワーボクシングで、攻防が分離気味だ。 攻めのテンポも、一定かつ、リズムが悪い。バンバン、バンバン、バンバン、と、連打がブツ切りで、流れるようなスムースさがないのだ。 スタミナに不安があり、出入りや左右の動きが決定的に足りないことも指摘できる。 1回戦でロシアのテクニシャン、マカレンコに敗れたのも当然の結果だろう。 この手のボクシングはポイントゲームであるアマには不向きで、ラウンドが長く、ギアもないプロの方が欠点をカバーしやすいと思うが、それでも上位レベルと対戦した場合、すぐさま各種の欠点が致命傷になるのは明らかだ。 とはいえ、長身・長いリーチからの角度がついた右フックから左アッパー、左の打ち下ろしから右ボディ、右アッパーへ連結するコンビネーションなど、連打には非凡な迫力を感じさせるし、魅力的だ。これでもっと機動力が増し、体重移動がスムースな、キビキビした滑らかな動きが出来るようになれば相当に強くなれる。 プロモーターはSauerlandだし、大興行のアンダーに必ず試合を組んでもらっているなど、サポート体制も良い。 いかにも遊び人のキューバ人といった雰囲気の、頭が悪そうなルックスに「ちゃんと練習してんのか? スタミナないし…」という不安は覚えるが、誰であれ亡命したボクサーには頑張って欲しいから、ぼくはかれに今後も期待している。 エルナンデスの次戦は10月27日。 ポベトキンvs.バードのヘビー級サバイバルマッチ、セバスチャン・シルベスターの欧州ミドル級王座防衛戦のアンダーカードだ。 ▽バックナンバー #007 8.18 ベルリン興行より【前編】 #006 キューバ勢ウオッチ【亡命事件の顛末】 #005 キューバ勢ウオッチ【ビデオ観戦…の後編】 #004 キューバ勢ウオッチ【ビデオ観戦…の前編】 #003 キューバ勢ウオッチ【前フリ…の後編】 #002 キューバ勢ウオッチ【前フリ…の前編】 #001 はじめに ■レイ オオヒナタ 19○○年生まれ、東京都出身。八王子に屹立する某美大に、不真面目に通う院生。WEB2.0環境の恩恵を受けて以来、本格的に海外ボクシングを見始める。ジョイス・キャロル・オーツの『On Boxing』やブコウスキーに触発され、ボクシングと芸術の関わりについて日々考察中。約2分ほどプロボクサーを志した過去もあり…。 |
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パソコン 歴史
パーソナルコンピュータは、1970年代のアメリカ合衆国で幕開けとなった。当初はAltair 8800や、アップルコンピュータ、タンディラジオシャック、コモドール、アタリなどによる、8ビットのマイクロプロセッサを用いた製品が登場し、後にIBMやアップルコンピュータ等によってより高性能なものが開発されていった。この発明には多くの黒人技術者が携わった。製品名に初めてパーソナルコンピュータという造語が用いられたのは、1984年のIBM Personal Computer model ... ...続きを見る |
パソコン.net 2007/09/07 18:15 |
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