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zoom RSS あれは3年半前 ... 再録「冨樫リングアナ登場!」 -前編-

<<   作成日時 : 2010/01/25 21:55   >>

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 先日の[内山高志×佐藤幸治]につづき、こんどは冨樫光明リングアナウンサーのインタビューを再録します。

 ちょっと長いので、2回に分けます。まずは前編をどうぞ――

※一部誤字や表記の修正をしてあります。肩書きや所属等は、取材した2006年8月当時であることもご了承願います。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「世界」を模する童顔のMC、語りおろし――
冨樫リングアナ登場!
-前 編-

取材・文/鈴木成章  写真/山口裕朗

◇   ◇   ◇


 天国と地獄。

 たとえばそれは、シーソーゲームの果てに決着がつかずに終了のゴングを聴いたボクサーが経験するものかもしれない。勝ったのは俺なのか、それとも…。判定を待つ間の、長く感じる時間。そのあとに訪れる歓喜と失望が映し出すコントラスト。ラスベガスのビッグマッチでは日常とも言えるその光景は、長らく日本では見られないものだった。

 1人の青年の手に握られたマイクは、長くボクシングを見続けてきた者にとって、時代の転換点を指し示す道標のように映ったのではないだろうか。

 冨樫光明、35歳。財団法人日本ボクシングコミッション(JBC)に所属する、若手リングアナウンサーだ。この人の歩みはそのまま、日本のボクシング界におけるリングアナウンスの進歩だと言える。


赤コーナー、11戦全勝、全11勝のうち7勝がノックアウト。128パウンド、帝拳ジム所属、日本フェザー級第2位。粟生隆寛!
《粟生隆寛(帝拳)対フランシスコ・ディアンソ(メキシコ)。2006年6月3日、後楽園ホール》

 海外、特にアメリカでは当たり前のように行われている戦績のアナウンス。これを日本で初めて取り入れたのが、冨樫さんだ。

「ボクシングの素晴らしいところは戦績、レコードがしっかりしているところですよね。これはボクシングの財産でしょう。批判するつもりはまったくありませんが、K-1やプライドのような新しい格闘技との違いは、一つひとつの試合の持つ重さだと思うんです。

 たった一つの試合の結果が、その選手の今後に大きな影響を与える。だから一人ひとりのボクサーの戦績は選手そのもの、名前とリンクしている肩書きみたいなものですよね。それはリングアナウンサーになったときから考えていたことなんです」


 冨樫さんのリングアナウンサーとしてのキャリアは1998年のある日、スポーツ紙の片隅で見つけたJBC役員の募集告知から始まった。1年に及ぶ研修を経て、99年の11月に正式に“初舞台”を踏んだ。

画像 日本タイトルマッチでのデビューは、2000年8月のミドル級タイトルマッチ、保住直孝(ヨネクラ)対鈴木悟(八王子中屋)。世界戦は翌年9月のセレス小林(国際)対ヘスス・ロハス(ベネズエラ)がスタートだ。

「ファイティング原田さんが現役の頃から活躍されていた酒井忠康さんは引退していて、先日亡くなった山口勝治さんに付いて、研修を受けました。山口さんは決して頭ごなしにものを言う人じゃなくて、何をやっても『うん、いいねえ〜』みたいな感じで。おかしかったのは最初の挨拶のときですね。顔を合わせるなり『おじさんまだ強いよ〜。この間もね、オヤジ狩りに遭ったんだけど3人のしちゃったよ』って(笑)。そりゃそうですよね。15戦して2つくらいしか負けてないプロボクサーだった人なんですから」

 キャリア初期の冨樫さんは、今のように戦績をコールすることもなく、伝統的な日本のリングアナウンスをしていた。駆け出しの身で、予告もなしに戦績をコールすることは当然、周囲に大きな違和感を持たせることになる。所属していたのが長い歴史と伝統を持つJBCとあれば、なおさらのことだ。

「当時JBCの国際部長だった安河内(剛氏、現事務局長)に、思っていることを話してみたんです。そうしたら理解を示してくれて、『テストケースとしてやってみたら』と言ってもらえまして。それで、前座の試合でやってみたんです。

 いままでよりも時間をとるわけですから、興行の進行にも影響が出るし、心配された方も多かったと思うんですよ。でも、とりあえず『テストケースですから』ということで納得してもらって今に至るわけです。『こういうの、やってみたいんですよ』って言ってやらせてもらって、やっていくうちに理解をいただけたんだと思います。周りの協力あってのことですよ」



採点の結果をお知らせします。ジャッジ福地勇治、96対95、木村章司。ジャッジウクリット・サラサス、97対95、中島吉謙。ジャッジ内田正一、96対95。以上2対1のスプリットデシジョンをもちまして、勝者、日本スーパーバンタム級…新チャンピオン、木村章司〜!
《日本スーパーバンタム級タイトルマッチ、中島吉謙(角海老宝石)対木村章司(花形)。2005年4月16日、日本武道館》

 熱戦の終幕を告げるゴングが鳴る。騒然とする場内。やがてジャッジの採点結果が1人ずつ、読み上げられる。割れているスコア。最後の1人はどちらを支持しているのか。そして王座の行方は――。

 冒頭で触れた「天国と地獄」。期待と不安がまざった感情の高ぶり。スプリットデシジョンが発表される過程でそんな経験をした人も多いことだろう。従来、国内リングでは試合終了のゴングが鳴り採点が集められると、おもむろに「勝者、赤コーナー…○○!」とコールされるのが通例だった。採点結果はその後で読み上げられるため、騒然とした場内では聞き取れないことも珍しくはなかった。

「勝敗の前に採点結果をはじめて読み上げたのは、前座の4回戦の試合だったと思います。すっごくいい試合で、最後まで眼が離せなかったんですよ。

 いつも熱戦や接戦になるわけじゃないですが、判定になった試合は引っ張るだけ引っ張って最後に『ドカン!』いった方が盛り上がると思うんですよ。何より、採点を聞いてほしい気持ちもありますから。だから試合展開に関係なく、勝敗より先に採点結果を読み上げるんです。いちばんドキドキするのが、スプリット(デシジョン)のときですよね。

 たしかに(最後の1人の採点が読み上げられた瞬間というのは)残酷な面もあるんですよ。でもね、選手にも応援していたお客さんにも『これだけ僅差だったんだよ』『次があるじゃないか』というのが伝わればいいなと思いながら、やってます。

 スプリットのときは、読み上げる順番も重要です。必ずしも1、2ポイント差ということばかりじゃないんですね。負けた方に3ポイントつけてるジャッジもいたりしますから。注意しているのは『はじめに読み上げた方が勝者』みたいに(法則化)するのは避けたいんです。『AとBが戦って採点が割れた。勝者はA』のケースでも、読み方は一つじゃないんですよ。ABA、BAAみたいに。

 採点表を受け取ると、さっと眼を通して読み上げる順番を0コンマ何秒かの間に考えるんです。点差を見て『この順番がいいんじゃないか』っていうのを一瞬の間に考えて、差の少ないものを最後に読むんです。たとえば最後に96対95…と読み上げると、お客さんも『うわ、1ポイント差かよ!』みたいに盛り上がれるじゃないですか。

 最後の1人を読み上げて、勝者を発表する直前の一瞬をバシッと締めるんです。0.5秒くらいのわずかな時間、場内がピンと針を落とした音さえ聞こえそうに静まり返ったところで『勝者、日本スーパーバンタム級…新チャンピオン!』とやったときには一方の選手がブワーっとなる。真空のところに何かを流し込んだらバーンと爆発する、そういうものを意識しています」



ハルク、佐藤修〜!
《WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチ、ヨーダムロン・シンワンチャー(タイ)対佐藤修(協栄)。2002年5月18日、さいたまスーパーアリーナ》

 「石の拳」ロベルト・デュラン、「ゴールデン・ボーイ」オスカー・デラホーヤ、「童顔の暗殺者」マルコ・アントニオ・バレラ等々…世界のトップボクサーたちは、リング上でその名前とともにニックネームを添えて紹介されることが多い。最近では日本でも、そんな機会が増えた。その先鞭をつけたのも、冨樫さんだ。その記念すべき第1号が「ハルク」佐藤修。いまは「蓮ハルク」の芸名で俳優としても活躍している。元WBAスーパーバンタム級チャンピオンだ。

「佐藤選手は当時いつも、試合用のトランクスに『Hulk』の縫い取りを入れてたんですよ。雑誌のインタビューで読んだんですが、彼はもともとプロレス好きで、体が大きかったらプロレスラーになりたいと思っていたくらいで。なかでもハルク・ホーガンに憧れていて、リングネームを『ハルク佐藤』にしようととまで思っていたくらいで。それでぼくも、そこまで自分のイメージを売り込もうとしているんだったら、『ハルク、佐藤修』でコールしたいと思っていたんです。

 佐藤選手の初めての世界戦はウィリー・ホーリン(アメリカ=当時WBCスーパーバンタム級チャンピオン)戦でしたけど、ぼくは担当じゃなかったんです。そしてあの試合が引き分けになって、ダイレクトでヨーダムロンとの再挑戦になりました。その試合を担当することになって、よーし、絶対やってやろうと思ったんです。

 ぶっつけ本番で世界戦当日を迎えて、トイレで偶然佐藤選手と会ったんですね。そこで『ハルク佐藤修』ってコールしようといることを伝えたら彼が『お願いします』と言ってくれたんで、これはもうやるしかないなと。

 それが試合も大逆転のKO勝ちでしたから。もう『勝てば官軍』っていうのはこのことだと思いました(笑)。もしあの試合、佐藤選手が負けていたら『何がハルクだこのバカ野郎』ですよね。次からはそんなこと、できなかったでしょう。もう、自分が勝ったような気分になってしまいました」


 8ラウンド、逆転KOでの戴冠。謙虚で物静かな青年が感極まって両腕を天に向かって突き上げたシーンを覚えている方も多いことだろう。そして、それを煽るかのように冨樫アナがコールする。

「WBA世界スーパーバンタム級、新チャンピオン。ハルク・佐藤修!」

「あのとき佐藤選手が認定証を受けながら泣いていたのを見ていたら、ぼくもこみあげてくるものがありました。でも、自分が勝ったわけじゃないし、第一、リングアナウンサーが泣くわけにはいきませんから」

◇   ◇   ◇

 現在、後楽園ホールのリングで最も観客をわくわくさせるボクサーの一人が真鍋圭太(石川)だ。「ノックアウト・センセーション」という力強いコールに押し出され、リング上を縦横無尽に飛び回る姿に魅入られたファンは少なくない。

「あれは石川久美子会長と真鍋選手直々の注文です。ある日会長が『これから圭太は“ノックアウト・センセーション”でいくからよろしく』って。

 ニックネームで怖いのは、ファイトスタイルが変わっちゃうことなんですよ。たとえばもし、真鍋選手が将来、技巧派に転向したとしますよ。相手のパンチをスイスイかわすディフェンスマスターになっていて、KOの数も勝ち星の半分くらいになっちゃったら、そのときもまだ同じニックネームを使っていていいもんだろうかという話ですよね。

 責任感重大すぎますよ。だからぼくがニックネームをつけることはないですね。もちろん、依頼があれば喜んで引き受けます。真鍋選手のときも石川会長に確認しましたよ。『将来、世界戦をやるようになって、そのときはディフェンスの達人になっていたらどうするんですか』って。

 そうしたら会長が『大丈夫。ウチの圭太は最後までKOを狙いにいくから!』っていうんで。でもね、ある時期真鍋選手が判定続きだったときには『KOセンセーション、やめようかしら』って(笑)。ぼくも『撤回するのはやめましょうよ』って答えたんですけどね(笑)。でも、変えることも悪いことじゃないと思っていますよ。

 今まででいちばん驚いたのは、クレイジー・キム(ヨネクラ=東洋太平洋&日本スーパーウェルター級チャンピオン)のときですね。試合当日の発表で、リングネーム変更届も当日でした。それでヨネクラジムの林隆治マネージャーが『ニックネームはタイガーだから。クレイジー・タイガー・キムでコールしてください』って。ものすごく違和感ありましたけど…まあ、慣れですよね(笑)
 過去の選手でコールしたかった人、いっぱいいますよ。鬼塚さん(勝也=元世界スーパーフライ級チャンピオン)なんて、ぜひやりたかった。いいじゃないですか、『スパンキー、鬼塚〜勝也〜』って」


 ・・・・後編へつづく

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