変われた理由
なんとなく、過去の記事や書き込みを見ていて、少し思った。亀田ファミリーに対しての触れ方がえらく変わってるなァ、と(笑)。一部から指摘もされた。
この記事に書き込んでくれたダンさんのコメントにある“手のひら返し”というコトバ等々、その後の亀田に対する批判的記事に対する批判的コメントに「あぁ、やはりそう見えてしまうんかな…」と感じさせられたことしばしば。しかしC級やトシオカ氏がフォローしているとおり・・・おかしいと感じることをおかしいと表現しているだけであって、それ以上でも以下でもない。
たしかに、2005年12月に『ボクサー亀田興毅の世界』を刊行できたのは、亀田家の協力があってこそ。いまになって否定するつもりはもちろんない。彼ら三兄弟に興味を持ち、買ってくれたみなさんにはもっと感謝だ。
しかしこのとき協力してくれたからといって、その後おかしいと感じたことをおかしいと表現しないのは、もっとおかしい。現実に、『ボクサー亀田~』の取材刊行当時より彼らを取り巻く環境は激変。おかしいと感じることは増加の一途をたどり、今に至っている。
この場でも(おかしいと書かざるをえないと)感じ始めの頃は多少の迷いもあってこちらの表現もヌルくなっているが、そんな気遣いも無用なほど、粗暴さもあらわになっていった。
あるとき、この号(写真右)――いまだ最新号(笑)――が出た頃だったか、彼らにとって快くない何かを感じ取られたんだろうか。唐突に、もはや取材に来るに及ばず、という旨の通告を受けた。
焦ったり、残念な気持ちには…ぜんぜんならず。
それほど、ランダエタ戦の前後から特に目立ち始めた異常で身勝手な振る舞いに失望し、呆れ始めていたから、むしろちょうどよかった。いま思えば“スイッチ”を切り替えるいい機会になった。
なにが言いたいのか――要は無思慮に変節して実質アンチの側に立っているのではない、ということ(笑)。
目指す肩書きにふさわしい相手と闘い、ふさわしい試合内容であったと思えば(仮に敗戦という結果に終わっても)、亀田であろうがなかろうが賞賛するし、そうでなければこれも亀田かどうかに関係なく、単なるボクシング好きとして文句も言うし、メディアの端っこにいる者として批判だってする。
それだけ、なんです。
[井]
この記事に書き込んでくれたダンさんのコメントにある“手のひら返し”というコトバ等々、その後の亀田に対する批判的記事に対する批判的コメントに「あぁ、やはりそう見えてしまうんかな…」と感じさせられたことしばしば。しかしC級やトシオカ氏がフォローしているとおり・・・おかしいと感じることをおかしいと表現しているだけであって、それ以上でも以下でもない。
たしかに、2005年12月に『ボクサー亀田興毅の世界』を刊行できたのは、亀田家の協力があってこそ。いまになって否定するつもりはもちろんない。彼ら三兄弟に興味を持ち、買ってくれたみなさんにはもっと感謝だ。
しかしこのとき協力してくれたからといって、その後おかしいと感じたことをおかしいと表現しないのは、もっとおかしい。現実に、『ボクサー亀田~』の取材刊行当時より彼らを取り巻く環境は激変。おかしいと感じることは増加の一途をたどり、今に至っている。
この場でも(おかしいと書かざるをえないと)感じ始めの頃は多少の迷いもあってこちらの表現もヌルくなっているが、そんな気遣いも無用なほど、粗暴さもあらわになっていった。
あるとき、この号(写真右)――いまだ最新号(笑)――が出た頃だったか、彼らにとって快くない何かを感じ取られたんだろうか。唐突に、もはや取材に来るに及ばず、という旨の通告を受けた。焦ったり、残念な気持ちには…ぜんぜんならず。
それほど、ランダエタ戦の前後から特に目立ち始めた異常で身勝手な振る舞いに失望し、呆れ始めていたから、むしろちょうどよかった。いま思えば“スイッチ”を切り替えるいい機会になった。
なにが言いたいのか――要は無思慮に変節して実質アンチの側に立っているのではない、ということ(笑)。
目指す肩書きにふさわしい相手と闘い、ふさわしい試合内容であったと思えば(仮に敗戦という結果に終わっても)、亀田であろうがなかろうが賞賛するし、そうでなければこれも亀田かどうかに関係なく、単なるボクシング好きとして文句も言うし、メディアの端っこにいる者として批判だってする。
それだけ、なんです。
[井]
この記事へのコメント
ある社長さんが亀田興毅のそばへ行ってエールを送ったら、プライベートな時間だったのかもしれないが、彼はサングラスかけたまま、ポケットに手ェつっこんで、肩いからせて、下から上へ、その社長さんを睨めまわして、「おう」とひとこと言った。それでその社長さんはもう亀田なんかいやだと。テレビのないところでそういう態度はないぜ。
亀田兄弟、テレビで見るたび、口の利き方を知らず、弱い犬ほど吠えるとはよく言ったもんだと、当初期待があったぶん、秋風のような、そんなおもいがよぎる。