酔いどれ前のひとりごと vol.100 日本最高試合その3

画像


vol.100 日本最高試合その3


←その2

 年間最高試合から最高を選ぶと決めたものの、実は古い試合を僕は知らない。リアルタイムで知るのはファイティング原田や海老原博幸の晩年からで、それもガキんちょのときだから記憶も眼力も、まあ、今もだが、あやふやで、ましてや金子繁治や高山一夫はフィルムでの確認すらできず、白井義男や矢尾板貞雄はわずかにダイジェストを見たばかりでなんとも言いようがない。

 つまり1949(昭和24)年から1961(昭和36)年までと、1963(昭和38)、1964(昭和39)、1969(昭和44)年の最高試合の中身を僕は知らない。だからファイティング原田以降の年間最高試合で上記の未知の3試合は除いた中から最高を選ぶというのが正しく、訂正します。

 前回は最高試合候補のいくつかをつぶしたつもりだけれど、高度経済成長やテレビの普及で右肩上がりの昭和40年代、日本ボクシングにとっていちばん良かったころかもしれない、あの時代。

 小林弘、沼田義明、西城正三、大場政夫、柴田国明、そしてガッツ石松と続く世界王者の勝負は、1戦1戦が濃密だった。が、やはり「具志堅vs.グスマン」戦には届かない。

 しかしながらあのころは世界戦の結果を伝えるときに、「これで現状の世界王者は誰それと誰それです…」と紹介したものだが、今でもそれはやっているが、あの頃は現役世界王者が日本の守り神みたいに思えて、誰と誰が世界王者で日本にはいるんだと、ガキだったからかなあ、意味もなく気負ったものだ。

 ボクシングを真ん中にすえて、あの時代の暮らしや人間を、誰か愛惜あふれる筆で書いてはくれまいか。

 そろそろナンバーワンを、その前に前回取り上げた名ボクサーに詫びをいれておかねばならない。

 ファイティング原田。僕はこのボクサーの絶頂期に居合わせたわけではないので断言しづらいけれど、持ち前のいい加減さで言ってしまうが、顕在と潜在とを合わせた観客動員数は日本一だと思う。

「オリバレスvs.金沢」戦は、13Rと14Rの2つのラウンド、金沢選手の頑張り、と言っては軽い、なんちゅうか、腹、かっさばいてみずからハラワタをつかみ出すような凄みのおかげで、突如、物語として形をあらわす。金沢選手が拳を痛めていて戦える状態ではなかったとか、会長との確執とか試合後仏門に入ったとか、いっぽうのオリバレスも勝ちはしたものの、以後、それまでの怪物ぶりが影をひそめていったとか。

 そんな情報が行きかうたびにあの試合がそれを見た人の脳裏によみがえる、それだけしっかり場面場面が見た人へ焼きついた、たぶん、そのような稀有な試合だった。

 大場政夫については、くさすつもりはないけれど、誰もが誉めそやすばかりだから、僕のひねくれ根性が頭をもたげてくる。元来僕はストレート・パンチャーが贔屓だから、大場政夫は好みであるはずなんだが、パンチが小刻みすぎるというか機関銃のようなパンチに納得できないものを感じていたのかもしれない。叶うなら今だってまだ続きが見たいさ。

 とは言うものの、はじめに断ったようにすべては最高試合を引き出すための口実に過ぎない。

 その最高試合は――1992(平成4)年6月の、ユーリ海老原がムアンチャイ・キティカセムを倒した試合、これが僕の、ほとんど迷いなくのナンバーワン。

 名高い世界戦にはよくある、1Rからもう物語が始まっているという雰囲気。全編にただよう緊張感、スリリングな展開、突然の終幕。中でもダウンをとられたユーリがすぐにダウンをとるというシーンは未来永劫忘れられない。借りを返す、オトシマエをつけると言えば言葉は悪いが、勝敗を度外視した高みの時空を見たようで、あんな場面は世界のボクシングでもなかなかない。

 もともとは有名俳優のボクシング試合の前座に過ぎなかったリングが、一転、高貴なる戦場と化して、ふだんボクシングなんか見向きもしない者までが立ち止まった。いや、なにも、そのとき僕の隣にいた女が手をとめてリングに見入っていたから、と、そんなケチな了見でこの試合を1番に選んだわけでは、決してありません。あくまで試合そのものの絵柄の良さで、うん、そう、選んだ、ほんと。

 もちろん、こういったいわば機械的な選択のつもりの最高試合とは別に、感情移入満々の、わが生涯の最高試合なるものもある。「わが生涯」の「わが」と「生涯」との間には「情けない」とか「ぶざまな」とかの形容を隠しているが、1986(昭和61)年12月の「大和田正春vs.無限川坂」Part3がそれで、もう誰も覚えてないような試合だけれど、ために僕は後年ご両人にお会いして短いながらあの試合のことを聴いた。

 額縁やガラスケースに入れて飾っておきたいスーパーファイトはたくさんあって、それらはそれらで燦然と輝いてくれていればいいし、それとはべっこに、面映いが、我が心にだけ光をはなっている試合や選手があってもよかんべ。

 ちなみにご所望あらば、世界最高試合も用意している。こちらは、プロボクシングのエッセンスという観点で選んであるが、どうしても、というご奇特な方にのみこっそり教えます。

 けど、ここまで書いてきて残念なのは、昔のフィルムがあまり見られないということ。ビデオ販売も少ないし、ネットでは断片的に見られるものの、これもたいしたことはないし、テレビは今しか追わない。スカパーやWOWOWはマニアにはいくらか供してもその域を出ない。ほかに裏ルートがあるのかもしれないが、これじゃ若い人がボクシングにのめりこんでいくことは難しいかなあ、なんて。

 最後に、藪蛇を覚悟で。

 俗に“女子供”という。今は不適切な表現と言われるのか、ええい、かまうものか。その不適切な表現であるらしいところの女子供、その女子供の足を止めて振り向かせるだけの力がなくて、なんの名勝負ぞ伝説ぞ。

 と、ちぐはぐな棄てゼリフを吐いて、おまたせ、ベイビ、さ、行こう。


▽バックナンバー
vol.99 日本最高試合その2
vol.98 日本最高試合その1
vol.97 たわごと・ざれごと・えそらごと Part 2
vol.96 たわごと・ざれごと・えそらごと
vol.95 追放
vol.94 ゴキブリ発言
vol.93 辰吉、魅惑の3番勝負
vol.92 それぞれの落日
vol.91 運の悪い男
vol.90 ロッカールーム
vol.89 重箱のスミ~2006年12月号
vol.88 重箱のスミ~2006年11月号
vol.87 アウトがセーフ
vol.86 重箱のスミ~2006年10月号
vol.85 ラウンドガールは飯島愛
vol.84 重箱のスミ~2006年9月号
vol.83 夢の始まりは…
vol.82 重箱のスミ~2006年8月号
vol.81 拳聖ふたたび
vol.80 重箱のスミ~2006年7月号
vol.79 重箱のスミ~2006年6月号
vol.78 重箱のスミ~2006年5月号
vol.77 重箱のスミ~2006年4月号
vol.76 重箱のスミ~2006年3月号
vol.75 悪いのはだれだ? おれだ…
vol.74 オサム会長はおっきいのがお好き
vol.73 重箱のスミ~2006年2月号
vol.72以前 夜明け前,カメダ・ワールド,重箱のスミ~2006年1月号,逆転の貴公子,ほんの少しの恐怖,ジャブを出せ,ガッツ石松 vs ロベルト・デュラン~もちろん架空~エキジビション,最強という名の幻想,年間最高試合について,これぞ伝説,アリ、フレージャー、そしてフォアマン,だけどファイティング原田は好きだった,なんとなく空想対決[G.フォアマン vs B.サップ],拳聖....etc.


■酔田振男(よった・ふりお)
1953年生れ、東京都出身。街頭テレビで藤猛vsニコリノ・ローチェを見てボクシングに惹かれ、観戦通いを始める。今はもっぱらテレビ観戦。ここ数年は週2回のキャバクラ通いに余念がなかったが、年のせいか近頃控えめ。(有)トランス企画社長。独身。


この記事へのコメント

モンテカルロ
2008年06月17日 09:53
ユーリ対ムアンチャイは、タイでのリマッチもよかったですよね。

この記事へのトラックバック