明日拳闘的意見「世界挑戦を墓場にしてはいけない!」~前編

 まだまだ日本国内でしのぎを削ってもいいようなレベルでの世界挑戦に、疑問を感じることが多々ある。世界戦として低クオリティなものになる確率が高まるし、ひいては世界戦の権威低下、観客や視聴者離れを招いてしまうことを危惧するからだ。

 我々が属する出版界はここ数年、経済成長が右肩下がりだ。ゲームやネット、携帯といった様々なニューメディアの台頭によって「本離れ」が起きたことがその発端。

 では、1冊が売れなければどうするか? 低部数で何冊も発行するしかない。どこの版元(=出版社のこと)もローリスクローリターン、薄利多売の戦法を選択した。はっきりいってこれが悪いとは思わない。どこも生き残るために必死になって考えた方法だから。

 なぜ出版界を引き合いに出しているかと言うと、ボクシング界とおかれている状況が似ている、と思うから。なので、もう少し付き合って欲しい。

 やがて本の売れない状況が続くと、こんな声が聞こえてきだした。

「刊行を乱発することによって、1冊のクオリティが低下してしまった。それが本離れに歯止めをかけられない原因だ」

 買った本が面白くなければ、「次」は当然買わない。面白そうだと思って買っても、あるいは暇つぶしのためにとりあえず買っても、内容がつまらなかった・・・そんなことを繰り返していくうちに、「選ぶ目」が肥えてくる。相馬眼ってやつだ。

 相馬眼が肥えてくると、タイトルや表紙がぱっと目に入って、中身をペラペラめくってみて、期待できるかそうでないか、なんとなくわかってくる。取捨選択がよりシビアになってくる。

 そして、買う→つまらないの連鎖が続くと、もっと恐ろしいことが待っている。「もう本は期待できないし」となって見向きもしなくなることだ。本を、とりあえず手に取ってみる機会すら消える。これをボクシングのテレビ放映におき変えるならば、とりあえずチャンネルを合わせることすらなくなる、と言ったところか。

画像 さて、相馬眼が肥えずに、生まれた時からクオリティの低いものばかりが並んでいる世代はどうなるか?

 もはやそれが普通だと感じるようになる。

 感受性の低下だね。ゲームやネットはあまりやらないから知らないけど、テレビや本で目立つものを見ても、実際面白くないのが多いよ。「ああ、今はこういうので面白いって思っちゃうんだ」って。オレもまだ30前だけどさ(笑)。

 もちろん好みもあるだろうけどね。映画なんてそれが顕著で、クオリティの高い大作に客が入らないで、テレビドラマの焼き増しや、子どもっぽいのが断然ウケてるみたい。

 自分らより上の世代の人が、

「昔のボクサーは強かった」
「○○も見てないくせに…」
「それにくらべて今のボクサーは…」

 なんて言い出したら「うぜえ」と思うけど、でもやっぱりファイティング原田や矢尾板貞雄はすげえし、高橋ナオトや吉野弘幸の試合は面白れえ。

 もちろん今のボクシングには今の良さがあって、国内には素晴らしい試合を見せてくれる選手だっている。

 ただ・・・いつの頃からか、世界戦のクオリティに関しては「?」がついてしまう。年々低下していってる「気」がする。

 出版界の「本の刊行」とボクシングの「世界戦」を重ねたらどうだろう? 「乱発→低クオリティ化」が酷似してはいまいか。

 ボクサーがどれだけ必死になって世界戦にこぎついたか、ジム関係者の苦労、ファンの想い…、そういうのを考えたら、水を差すようなことは誰だって言いづらい。

 だが、だからって誰も何も言わないでいるのが一番危険!

 次回は、そんなモヤモヤを少しでも解消すべく、ようやく冒頭の文に戻って(笑)、時期尚早と思える世界戦が挙行されるその理由を、羅列してみようと思う。

・・・後編につづく


※写真はイメージです。

[霜]

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